第309回◆正法眼蔵提唱&坐禅会◆しずおか禅会

<次回の坐禅会お知らせ>
正法眼蔵提唱&坐禅


井上貫道老師が難解な正法眼蔵を紐解きます

日: 平成30年7月26日(木)

時: 18時30分~21時

場所:静岡駅南 崇福寺(通称鯖大
師) 
   静岡市駿河区稲川1丁目-17


講師:掛川 崇山少林寺前住職
(師家)井上貫道老師

教本:正法眼蔵 Ⅲ 道元著 
   水野弥穂子校注(岩波文庫
をお 持ち下さい

会費:¥1500
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お問い合わせは静岡坐禅
世話人☆川上ふさ子☆
☎090-5856-1712へ



崇山少林寺
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坐禅
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神(心)を落ちつけ、ひとつ一緒に坐ってみませんか。

井上老師さまはるばる掛川からおいで下さいます。
ありがたい事です。

はじめに 
道元禅師の正法眼蔵(三)を全員で音読し
そのあと 井上貫道老師が解説をなさいます。
提唱がおよそ1時間強、
その後、
坐禅を20分ほど
そして白隠禅師の坐禅和賛唱和
おしまいは茶話会 
お茶を飲みながらお悩み相談、質問、近況報告などなど
楽しいひとときです。

年代は20代から70代80代と幅広いです。
最近見えられた方から 熱心に20数年お通い下さる方も・・・
職業も様々です
バリバリのキャリアウーマン、鍼灸師さん、
自営業の方、高校教師リタイアされた方、
元管理職、元看護師長さん、現役僧侶、など多彩な方々です。
人数は15人くらいとこじんまりと しかし大宇宙を内蔵した空間です。


坐禅の時間は20分くらいとかなり短いです。
ですから初心の方も大丈夫です。
なんならイスもあります。
(途中退室もOKです。)
どうぞ お気軽にお越し下さいませ。


鯖太師さんは臨済宗
井上貫道老師はもちろん曹洞宗です。
宗派は違いますが初代世話人川上六三郎の尽力と
熱心な会員の皆様の熱い思いでこの会は成り立っています。
鯖太師さまのご住職さまのご厚意により会場をお借りいたしております。
ありがたいことです。


井上貫道老師さま

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正法眼蔵提唱と坐禅会~平成元年発足

井上貫道老師が難解な正法眼蔵を紐解きます





情報網が錯綜し生きることの意味を問われる現代社
何に価値を見つけるべきか
心の焦点をいずこに置くべきか
乱世を生き抜くためのエッセンスを
あなたの目と耳と体で感じて下さい


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お問い合わせは静岡坐禅
世話人☆川上ふさ子☆
☎090-5856-1712へお気軽にどうぞ 



崇山少林寺
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~☆六三郎コラム★~
板橋興宗禅師の
『よくなる よくなる よくなる 』



☆結縁の功徳★



☆悟りとは☆

坐禅と見性


■ ☆自力で白隠展を企画、開催

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■ ☆前生の話し・山本玄峰老師


山本玄峰老師の"笑い供養"の話


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〇初代世話人故川上六三郎は坐禅歴40年のつわもので、30代の時誦経三昧の中で白衣観音様を肉眼で拝したそうです。

また観音様信仰篤く、臨終迫った実母の命を『手当て』をしつつ延命を祈願。一晩中頭に手を当てながらひたすら延命十句観音経をお唱えいたしました。
晴れて願いは天界にとどき母はその後三年ほど命を長らえることが出来ました。

このほか霊視霊験多々経験した奇人変人でもありました。

〇高校生の夏休みに臨済宗・三島龍澤寺で中川宋淵老師の下で坐禅を始めたのがきっかけでした。
生来病弱でいつも死と隣り合わせの日々。その恐怖や不条理観などの探求心から自然に仏道の門に惹き込まれたのでしょうか。前世の縁。これもふかい仏縁であったのでしょう。

長じて浜松奥山の方広寺の管長荒金天倫老師についてご指導を受けました。

その後法縁熟し曹洞宗掛川少林寺師家井上貫道老師に相見 後年在家得度するに至りました。

〇神仏を篤くうやまい こころはいつも悩める人々と共にありました。

その原点は白隠禅師であります。熊さん八っあんにもわかる仏教を広めた大いなる禅師にこころ惹かれ衆生済度の道を歩み始めました。

きっかけは知人田中温古堂田中旭氏に見せてもらった白隠さんの『打出の小槌図』
讃に曰く・・・
『万法を打ち出すとは 偽りよ 拉ぐじゃぞ 』

この真実を知った時、この時天地がひっくり返るほど衝撃を受けたと話しています。

この白隠さんのすごさをぜひ皆に知ってもらいたくて、また白隠さんの禅画を知らない多くの人々に見て欲しくて
なんとなんとひとり大奮闘し静岡伊勢丹で☆『白隠展』を開催してしまったほどです。

それからひたすら衆生済度、現世利益の道を探り歩み始めたといいます。

もちろん楽しい事ばかりではありません。大変な時もあったでしょう。苦しい時もあったでしょう。
しかし、大願がありました。衆生済度という大願が・・・

人生の後半は悩める人を彼岸へ渡す船頭さん。渡し守的な仕事を始めました。

悩める人々の相談を受け、アドバイスをし、人々の代わりに神仏に祈願を致しました。熱心すぎて病に倒れること幾たびか・・・

七転八倒の苦しみを経験したこともありますが、依頼者を恨む事もなく、淡々と仕事をたのしみました。

悩める人々に寄り添い、まず皆の願いの成就をいつも心に掛けているそんな人でした。

誦経(ちなみに十句経は67万巻-H24現在)と坐禅(死の間際まで坐禅しておりました)は毎日欠かすことはありませんでした。


ついにその時はやって来ました。

前立腺摘出手術のその日
まな板の鯉になった手術台の上で笑いがとまらなかったそうです。

初関を突破したのは
「川上六三郎とはなんぞや」と荒金老師より公案を頂いてから30有余年の月日が流れておりました。

すでに荒金老師は死寂されておりました。しかしおそらく先師も共に呵々大笑されたことでしょう。

信念の人。 
努力の人。それが男 川上六三郎でありました。

おれがやらずに誰がやる
今やらずして、いつやる

積小為大
座右の銘とした七十年の生涯 でした

そんな主人とは対照的 
全くのんびりやの現世話人です。
どうぞ宜しくお願い致します。
川上ふさ子合掌
  

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★川上六三郎のプロフィール